24th IPAT Biennial Convention And Art Exhibition
                  July 10-15, 2006

成田→フィラデルフィア
オプショナルツアーに参加
インターナショナルフラッグセレモニー
Conpetition & Exhibition
デモンストレーション
オークション
メキシカンティー
ブースでお買い物?
International Celebration Banquet
フィラデルフィア→日本
後日談

米国のフィアデルフィア郊外で開催されたIPATの2年に一度の国際大会に4年ぶりに参加致しました。今回は大会期間中に絵付けのデモをするという役目もあり、ただ楽しいだけのお気楽な参加ではありませんでしたが、感動や収穫がたくさんあり、本当に満足して戻って参りました。
その感動が薄れぬうちにレポート致します。


成田→フィラデルフィア
成田からフィラデルフィアには直行便がありません。どこかの都市で乗り換えて行かなければならないので旅行会社のHISに頼んでいくつかのパターンを調べてもらい、行きも帰りも丁度良い時間で乗り継ぐ事ができるデトロイト経由のノースウエスト航空で行く事に決めました。原油価格が高騰している影響で往復チケットは前回より高めで所雑費込で10万円くらいでした。
旅行をご一緒させて頂いたのは4年間のIPATのボード役員を勤められたH先生です。計画当初はその他にもF先生や香港在住のRちゃんなど前回一緒のメンバーも合流しにぎやかになる予定でしたがお二人は直前に事情で参加できなくなり、今回はH先生と私、女二人の珍道中をさせて頂きました。
成田からデトロイトまでおよそ14時間。エコノミーシートに座りっきりの旅は結構きつかったです。腰は痛くなるし足はむくむしキャビンアテンダントは忙しさのあまり不親切だしデトロイトに到着した時には本当にほっとしました。厳しくなっていると聞いていた入国審査では米国人の審査官がぺらぺらと日本語でしゃべってくれてあっさりパスで拍子抜けしました。デトロイトは自動車関連のビジネスの中心なのでその関連の日本人訪問者も相当多いようで、審査官も馴れた感じでした。一方、次に向った国内線の乗り継ぎのチェックは相当厳しく靴も上着も全部脱いでチェックされました。デトロイロ空港は明るく綺麗で乗り継ぎもとても判りやすくて良かったです。丁度サッカーのワールドカップの決勝が行われており皆空港のカフェテリアやレストランで画面に夢中になっていました。ジダンが頭突きで退場になったところで搭乗時間になりサッカーファンのH先生は続きが見たくてがっかりしていました。次は一回り小さな飛行機でフィラデルフィアへ向います。この国内線に搭乗した日本人は私達二人だけのようでさすがに少し心細さを覚えました。およそ2時間の旅で無事到着。そして空港からタクシーでおよそ1時間かけて夜9時頃ホテルへ到着致しました。チェックインを済ませてポーターを探していると、ホテルの入口の外でガラス越しに見覚えのある日本人が手を振っています。成田からほぼ同じ時間にニューヨーク経由の別ルートで出発したA先生のグループがほぼ5分違いで到着したのでした。

翌日から大会が始まり受付カウンター周辺に集まってきた各国のIPATメンバー達に『私達は約20時間もかけてはるばる日本から来ました。』と少々恩着せがましく話したら、逆に『あら私だってフロリダから8時間掛かった』とか『マレーシアからは丸2日です』『ヨーロッパだって18時間だ』とか皆それぞれ負けず劣らずの長旅ぶりを競い合う様子で誰も同情してくれず拍子抜けでした。しかも皆、気合いが入っていてコンペはもちろん展示用の作品も持ってきている人が大勢居て、心密かに「私ほど遠くから沢山磁器を持ってきている人は居ないはず」と思っていたのも完全にはずれでした。私はコンペ用に一つ、展示用に二つ(合計三つまで出せる)オークションの寄付に3つ、自分のデモ用に細かい作品を幾つか持ってきていましたが、それくらいいろいろ持ってきている人は他に何人も居る様子でたいして珍しくも無かったです。

オプショナルツアーに参加
オプショナルツアーはIPATの役員が企画してバスをチャーターして参加希望者を連れていってくれます。観光したり買物したり、会場が設営される前の2日間、観光を楽しむことができました。参加者全員がIPATメンバーなので、この小旅行を通じても会員相互の小さな交流ができるので大会の前哨としてとても良い企画であると思いました。前回参加したLA大会のときは参加者不足でオプショナルツアーは中止だったので今回は両日共実現して本当に良かったです。役員のH先生は初日から会議でホテルに缶詰でしたので1日目のアーミッシュカントリーはA先生のグループにご一緒させて頂きました。しかし2日目のロングウッドガーデンの参加日本人は私一人だと判り少し焦りましたが、実際に行ってみると広大な庭をマイペースで散策できたことは良かったです。

アーミッシュカントリー
アーミッシュカントリーはアメリカに住みながら、祖先が移住した当時と同じ農業や牧畜が基盤の150年くらい昔のライフスタイルを守り続けている人々のコミュニティーです。この村で暮らす限り服装や生活の全般において厳しい規則を守らなければならず、18歳になるとこのコミュニティーを出ていく選択ができるとの事です。この村で立ち寄ったアイスクリームやケーキ屋さんキルトショップではアーミッシュの人達の手作り作品が若い娘さん達の手で売られており、彼女達の清潔で素朴な感じの良い様子には本当に感心しました。皆さんこの地で普通に暮らす人々なので物珍しげに写真を撮ったりいっしょに写真を撮ってくれるように頼む事さえも禁じられていましたので、村の家の写真を撮ってきました。電器も電話も最低必要限度しか使えないようなきわめて質素な生活なのに皆、大自然に囲まれてこんな素敵なお家でのびのび暮らしているのです。気のせいか、芝生の庭で戯れていた猫の親子も我家の近所の猫よりかなり幸せそうに見えました。

アーミッシュの家。 ロングウッドガーデンで見かけたアーミッシュの若者。
建物写真を撮る振りしてパチリ。
アーミッシュの村。 アーミッシュ村のそばのショッピングエリアのキルト屋さんの店先。


ロングウッドガーデン
元々は大金持ちの個人庭園として造られたというこの庭の広大さには唖然としました。ジョイフルホンダのイングリッシュガーデンに感激して舞いあがっていた私は何て小者かと思わずにはいられませんでした。はっきり言って総合的に100倍くらいすごかったです。個人レベルでこのような庭を造れる米国の底力を考えると、この国と対等に張り合うよりはお力におすがりするほうがよっぽど得策だなんて考えて、すっかり気弱な日本人になってしまいました。
この庭にアーミッシュの村からもいろいろな人々が遊びに来ていました。彼らは独特の服装で一目でわかります。ある親子連れは2、3歳のかわいらしいお人形のような女の子を連れていたのですが、この子が立ち止まって私の顔を宇宙人でも見るような目つきで、ぽかんとしながらしげしげと見つめていたのは印象的でした。私にとって彼らが珍しいように、おそらくテレビも無ければよそ者も最低限しか立ち入らない村で暮らす彼女にとって生まれて初めて出会った東洋人だったのではないでしょうか。若いアーミッシュのカップルも何組も公園内をデートしていました。彼らの様子はまさに手もつながずに恥かしげに微笑み合うという初々しい清潔感溢れる様子で、米国にもこんなにピュアな若者達が存在しているのだと、この国に住む多様な人々に改めて思いを馳せた一時でした。

イタリアンガーデン手前の湖。これも庭の一部。 滝のある庭。
これでも小さい方の庭。 温室内の盆栽の回廊。
日本の盆栽の3倍くらい大きな盆栽がずらりと並んでいましたが、音声ガイドで盆栽は中国文化と紹介されていたのにはがっくり。


インターナショナルフラッグセレモニー
このパーティーは各国のメンバーが一同に会したことを祝う恒例のパーティーです。毎回各国とも民族衣装を競いそれぞれの国の代表である事をアピールします。前回は私も着物を着ましたが、今回はトランクの余裕も心の余裕も無くチャイナドレスでごまかしました。すると米国人に『いつも日本人は誰か着物を着てくれるのにどうして今回は誰も着てくれないの』などと言われてしまいました『着物は着るもの大変だし持って来るのも大変なのよ』と良く説明しておきましたが彼女の残念そうな顔を見て心の中では、せめて浴衣でも良いから着てあげれば良かったかな、と少し後悔しました。今回は参加日本人が少なかった事もあり、必然的にいつも外国人と同じテーブルを囲むことが多く必死ででテーブルトークに加わったのですが、とりあえずこの日から英語で周囲と馴染めてずいぶん気が楽になりました。

PresidentのGlendaとジョージ・ワシントンの扮装をしたMr.X 左は韓国のHwangさん。中央はH先生。
右はA先生。左は知的な美人秘書Lorraine FlagCeremony入場行進前の一時。


Competition & Exhibition
今回はコンペ用に1点展示用に2点の作品を持っていきましたがそのうち『鶴』と『伊万里風大皿』2点のどちらをコンペに出すか迷いに迷った挙句陶画舎展にも出した鶴を出品する事に決めました。結果的には前回と同じSILVER PRIZEを獲得できたのですが、もう一方の作品をだしていたらどうであったか後からもうじうじと考えてしまいました。正直言って今回はGOLD PRIZEが欲しかったので賞が決まった後でも往生際が悪かったです。コンペ会場でうろちょろして私の作品に興味を持った人に話し掛けて3点全部案内して説明して意見を聞くと『伊万里風大皿』の評判が比較的良かったのでなおさらでした。これは11月に開催予定の私の個展でも飾りますので皆さんも是非ご意見下さいませ。
タイの福祉団体が大勢の少年ペインター達を連れて大会に参加していました。彼らは元ストリートチルドレンということで自立の為に絵付を仕込まれて、その作品を沢山持参してコンペや展示部門に出品していたのですが、その緻密でデザイン性豊な作品には本当に驚かされました。当然多くの作品が受賞し、コンペに華やぎを添えていました。

銀賞を獲得した『鶴』 以前白黒で雑誌に掲載された壷。
今回本物を見てもらうために展示用に意地でも抱えていった。
タイの少年ペインター達の見事な作品。 皿の裏表、壷の中まで丁寧に描き込まれているのを見てびっくり。


デモンストレーション
2005年の秋頃、ハリケーンカトリーナの影響で雑誌『Porcelain Artist』の編集長グレンダ・ウィルクスの家が水浸しになり雑誌に載せる予定の作品のストックが流されて無くなってしまったと小耳にはさみました。グレンダには大変気の毒な天災でしたが、この機会に作品写真を送る事はお互いにとってメリットがあるし一つのチャンスと思い、いくつかの作品写真を送ってみました。すると編集長代理のドリス・アンから写真の写りが悪いので改めてメールで写真を送って欲しいとの連絡があり、すぐにメールで送り直しました。すると折り返しメールで、あなたが次の大会でデモをする気があったらデモ担当者に話してあげますとの打診が来たのです。私にこんなに早くそのようなチャンスが来るとは思ってもいなかったので大変驚いたのですがこれは確実にビッグチャンスであると気が付きました。この機会に断ればもう二度とお声はかからないかもしれません。しかしながら当然日本語でデモをするわけでは無いので全く一人の力でできるかどうか迷いがありました。そこで確実に大会に出席する予定でいるH先生にデモの際お助け頂けるかどうか相談してみたところ、『手伝ってあげるからチャンスだから是非おやりになりなさい。』との温かいお言葉を頂き、引き受ける決心がつきました。
やるからにはH先生にもできるだけ迷惑をかけないように基本的には自分の力でやり遂げたいと思い計画を練りました。まず英語。自分の英語の問題点は前回の経験から判っていました。文章での読み書きは会社時代に上司から鍛えられたのである程度の自信はありました。又しゃべる方は発音は悪いながら少し馴れれば出てくるのですがヒアリングが弱いのです。特に早口でべらべらやられると混乱して全く判らなくなってしまうことが多いのです。これを何とかするためには耳をもっと鍛えるしかありません。すぐにケーブルテレビの契約をして家に居る日は毎日CNNを聞いて過ごす事にしました。スピーキングの方は近くのENGLISH CLUBで個人レッスンを受ける事にしました。規模の小さいスクールにしたのは毎回講師がかわるようなスクールでそのたびごとに自分の崖っぷちの状況を説明するのは面倒だと思ったからです。この選択は正解で、本国では大学の先生をしていたというカナダ人のマシュー先生から自分の状況に合ったレッスンを受ける事ができました。
私のデモは大会四日目の7月13日の3時から1時間の予定で行われました。デモの行われる部屋の前に早めに行って前の担当者が終わるのをどきどきしながら待っていると、デモが終了した別の部屋から出てきた人達が、デモ用のサンプルを持っている私の回りに集まってきて口々に『あなたはこの部屋の次のデモの担当者?どんなデモを見せてくれるの?』と興味深い様子で聞いてくるので、『私はこのオリジナルのミストパウダーを使ってこんなに素敵な日本風の絹のようなテクスチャーを造る方法をお見せします。あと、日本のプロが使う特別な馬の毛の筆を持ってきているのでその筆を使い、このかわいらしい梅や菊の描き方をお見せします』と答えるともう時間前から廊下のベンチで既にデモが始まったかのように質問が飛び交い答えたりの大騒ぎです。H先生は同時間に行われていた米国主催のお茶会の担当役員でまだ戻ってきていないし内心焦りましたが覚悟を決めて、集まった皆を引き連れて部屋に入りそのままの勢いでデモを始めました。間もなくしてH先生が息せき切って駆け付けて下さいました。
まず『日本の有名な窯元であるノリタケや大倉の職人も使っている馬の尻尾で作った筆を基にさらに描きやすいように特注したオリジナル筆でこんな風に描きます。』と実演すると何処からとも無く『フー』と言うため息が聞こえます。リスやコリンスキーはお馴染みでも馬の尻尾と言うのが外国人にとって珍しく興味をそそるようで皆が欲しがるので用意していった筆とミストパウダーをその場で販売すると飛ぶように売れたのには驚きました。そもそも大会に来る人は何か珍しいものを見つけて買うつもりで来ているのだと改めて認識しました。
その次にオリジナルの特別な粉、ミストパウダーを使ったテクスチャーの説明です。デモの予定原稿を作って予行演習はしていたものの現実には全く逸脱してアドリブだらけのデモでしたが飛び交う質問にも全て自分で対応する事ができ、そのやり取りがとても楽しかったです。集まってくれた人は総勢13人で、半分以上は英語圏以外の国の人だったのでかえって彼女らの丁寧な英語が聞き取りやすかったのも幸いでした。現地にお住まいの日本人女性も一人いらしてくれて”Can you speak Japanese?"などと私がとんちんかんな質問をすると「もちろんです」と答えられてお互いに大笑いしてしまいました。
H先生は販売品の集金やらプレゼント品のくじ引きなど地味な立場に徹して駆けずり回り目立たぬように私を盛りたてて支えて下さりその奥ゆかしいお心遣いが身に染みて嬉しかったです。今回、欲張って販売もしたので我先に買いたがり興奮した外国人ペインター達を落ち着かせるのも、おだやかなH先生がじょうずに仕切って下さり本当に助かりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。
こうして私の外国人ペインター相手のデモは無事成功致しました。終わった後も『あなたは会場にブースは持っていないのか』とか『スタディーは無いのか』とか『あなたはWorldshow(WOCPの大会)には来ないの?』とかいろいろ質問され『今回は無いけど次回は持って来る予定だ』というと『えーっ次回?2年後って事?』と言うような感じで不満顔をされたり、外国人の反応は本当にストレートで判りやすいので今後の課題もいろいろ見えて来て参考になりました。
デモ終了後、残っていた皆さん方と。

オークション
デモが終わった日の夜、オークションが行われました。前回のときには呆然としながら眺めるだけだったオークションも、今回は作品提供者として少しどきどきしながら席に座りました。私がオークション用に寄付した作品は3点。一つは日本風の小さなデイジーのボックス。その日のデモで実演したミストパウダーを使った作品です。これはデモにも出席してくれた中国系米国人で夫は日系2世というV.Kameiさんが落札。彼女は私のデモのプレゼント皿も当って大喜びしていたので私の作品を2回もGETしてくれて嬉しかったです。次は磁器の犬。これは昔、愛知製陶で購入し刺青のようにイングレーズの薔薇を描き長い間私のスタジオから外を眺めるように飾られていたのですがアメリカに嫁入りさせる事に決めて連れて来た犬です。これはPeggyAdamsが落札。彼女は最初のパーティーで羊飼いの娘の扮装をして同じテーブルの正面に座っていたチャーミングな女性です。サンタクロースを中心としたクリスマスモチーフを描くアーティストで今回会場にブースも持って居ました。一目見て好意を感じていたPeggyが落札してくれて私は本当に嬉しかったです。Peggyが『この犬は私の家のマントルピースの横に大切に飾るのよ』と言って私を抱きしめてチュッチュしてくれて益々彼女が好きになりました。そして最後は和風の丸ボックス。これはテクスチャーを多用した大変凝った造りで自分としてもかなり力作でした。出品した3作品のうちこれが一番値段が上がり確か250ドル位でノルウェーの素敵なご夫妻が落札して下さいました。奥様の方はMarth Liffと言ってアクリルや油絵も手がけるノルウェーの芸術家です。ご主人は写真家です。彼女は大会2日目の朝、私がコンペと展示用の作品を提出するためにホテルのロビーで作品を広げていた時に居合わせて『わー素敵ねー』と言って皿を見に駆け寄って来ていきなり『あなたは何歳なの?』と聞くのでつい正直に答えると『あら、まだまだ長い間描けるわね、私は76歳なのよ』とにこにこ微笑んでいた感じの良い女性です。若々しいのでとてもそんな年には見えなかったので私は大変驚いたのでした。彼女はこのボックスが私の供出品であるとは知らずに気に入って落札し、私の作品であると後から知って二重に喜んでいる様子がわかり私も心から嬉しかったです。
米国で誰も知らない私の作品をプロのアーティスト達が競い合って落札してくれた。その事実に私は心から感動しました。嬉しすぎてその夜は部屋に戻って思い返しても幸せ過ぎて泣いてしまうくらいでした。オークション提供作品はIPATへの寄付ですから日本から持っていくときには正直言って『もったいない』と思う気持も有ったのですが。それを幾重にも上回る感動を得ることができたのは予想をはるかに上回る出来事でした。私の大切な作品が海を越えてどこかの家で思い出と共に大切にされることを考えると正直言ってコンペで賞を取ったよりも嬉しかったです。

オークションの下見会。 嫁入り前の私の犬。 私の作品を落札したMartha夫妻と。


メキシカンティー
IPAT大会開催中には2回くらい各国主催のお茶会が開催されるのですが、以前は出席したい他行事と重なって参加する事ができませんでした。今回はメキシコ主催のメキシカンティーに出席できそうだったので参加してみる事にしました。前売り券も買わずに少し遅れて行ったため席はほぼ満席でしたが飛び入りの参加も快く迎えられとても楽しい一時を過ごす事ができました。ティーパーティーはバイキング方式の着席パーティーです。テーブルにはメキシコ風のトルティーヤのサンドイッチ、ジャムが山盛りのクッキー、フルーツティーや得体の知れないジュースなど郷土色豊な珍しい軽食が並び、各自自由に皿に取った後、着席し同じテーブルの人達と会話が弾みます。合間にメキシコの歌を歌ったりくじ引きがあったりメキシコの民族衣装を着たIPAT会員ホステスが場を盛り上げます。同じテーブルのアメリカ人は皆、フレンドリーで、めちゃくちゃ甘いクッキーを口一杯ほお張りながらダイエットの話で盛りあがり、すごくおかしかったです。アメリカ人にしては小柄なMegが『私は日本に行けば小さいのが目立たなくなるから行ってみたい』と言えば、日本にいったことのある人が『日本人は皆小柄でその上やせているから私達は日本に行っても買える服のサイズが無いわよ』とかいうので『日本でも若い世代は段々大きくなってきているから大きなサイズの服も増えていますよ』と私。『とにかく私は夫にもっと痩せろと最近いつも文句を言われてるの』(確かに彼女は4年前より太っっていました)とか身につまされる話に笑ってしまいました。

ブースでお買い物?
今回は何かと慌しくゆっくりブースで買物する余裕が無かったのですが、大会五日目にやっとゆっくり見まわる時間が取れました。今回はMr.&Mrs.やJaneHaustonProductsなど有名ショップが出店していないと聞いてはいたのですがその代わり個人のブースがたくさん出店していてそれらを一軒一軒覗きながら珍しいものやスタディーを見つけるのも楽しかったです。日本では絶版とされていてインターネットショップでも見つけられなかった本を2冊も発見できました。又、『アンティークポーセリン』シリーズはこちらでも人気のようで、本屋さんのブースに沢山並んでいました。
ヨーロッパのアーティストが米国に進出してきているという噂を聞いていましたが確かに以前は参加していなかったドイツのイケメンペインターAndreas Knoblがブースを持っていました。彼はいかにも伊達男という感じでいつも女性ファンに囲まれて超モテモテで話しかける隙もありませんでした。フランスのHelen CaputoもFelipe Pereiraといっしょにブースを出して居ました。Helenは私のデモに来てくれて私が持っていって紹介した陶画舎のペインターズカーボンを気に入って仲間に口コミで広めたのでJaneMarksなど思いがけない人からも送って欲しいと注文が来て買物だけではなく注文取りでも会場をグルグル回りました。でもこれは日本からの郵送料を良く確認せずに郵送料込で5ドルで前払いで注文を取ってしまったので、お金をもらっってしまった人には送らないわけにいかず結果的に大赤字でした。今年の2月に来日したアーティスト、P・Cとも再会しました。彼女は義理堅く東京での観光案内のお返しにディナーに誘ってくれたのですが、私は毎晩何か大会関係の予定が入っていてお受けできず非常に残念でした。

Paula Collinsのブース Paulaの講習会にて。


International Celebration Banquet
翌日の帰国を控え、最後の晩を飾るにふさわしい厳かでしみじみとしパーティーです。時間を勘違いしてまさにパーティーが始まる直前に会場に着いたので席を探してうろうろすると、大会中親しくなった韓国人のHWANGさんが隣の席を指して手を振ってくれました。H先生は前方にずらりと居並ぶ役員席ですしA先生のグループは大会4日目にニューヨークへ移動してしまったので、またしてもテーブルに日本人一人でしたが英語のレベルが私と似たり寄ったりのHWANGさんが隣にいてくれてほっとしました。日本にいるときには考えた事もありませんでしたがこれだけヨーロッパ人とアメリカ人の群れの中で何日も過ごすと韓国の方は顔も雰囲気も日本人と似ているし側にいてくれるだけで安らぎを感じました。これはHwangさんのお人柄から来るものかもしれません。又、同じテーブルにはスイス人のご夫妻もいらして皆それぞれ完璧ではない英語で苦労している片鱗が見えたりして妙にほっとしました。一番恐ろしいのはやはりネイティブスピーカーであるアメリカ人の英語です。ネイティブなのでスピードは速いし発音は悪いし(?)隣に座られたら最後、付いて行けない部分をうまくゴマカスのに本当に苦労しました。
パーティーが佳境にはいると恒例の役員交代と受賞者の表彰です。今回はPresidentのGlendaWilksが抜群の歌唱力でしんみりとした歌を披露しその他にも思わずほろりとさせるような演出があり、泣き上戸の私はハンカチが手放せませんでした。
今回はGOLDPRIZE受賞者が二人しかいなかった分、SILVERPRIZE受賞者が大勢いました。オークションで私のボックスを落札してくれたノルウェーのMathaもSILVERPRIZEを獲得し互いに称え合いました。
今回は終了後のダンスタイムも居残って25年前に東京のディスコで踊っていた妙なダンスを思い出し、インディアンの羽飾りを付けたノリノリのアメリカ人のおばちゃま達と踊って”Etsuko is good!!"などと誉められすごく楽しかったです。

SILVER PRIZE 受賞者の記念撮影にて。
フィラデルフィア→日本
帰路はほっとして元来の間抜けぶりが露呈し失敗続きでした。空港までのリムジンでは運転手にチップをあげ忘れておもいきり不満げな態度を取られたし、空港ではヒスパニックの女性職員にNARITAを(ニャリータア)と思いきり巻き舌で発音されて聞き取れずにあたふたするし、おまけに荷物は重量オーバーで3回も中身を出される始末で空港のトイレ前でトランクを空けて大騒ぎし飛行機に乗り込む頃にはへとへとでした。IPAT大会で欲張りすぎると体力がなければ戻って来れないと思い知らされた帰り道でした。


後日談
8月の10日と11日に開催されたJPPAの展示会に韓国のHWANGさんが生徒さん二人を連れて遊びにいらっしゃいました。思わぬ早さで再会できて嬉しかったのですが今回はわずか一泊2日の滞在でしたので、彼女もサンアートと陶画舎とJPPA展示会だけ駆け足で回っただけで2日間の予定が終わってしまい残念そうでした。H先生もお誘いしてお昼をご一緒しIPATの思い出話や韓国と日本の絵付け事情などいろいろ情報交換しましたが、彼女のやる気と行動力には改めて刺激を受けました。韓国には陶画舎のようなショップが無いとのことで彼女は陶画舎には2日連続で通いポイントカードを作ってもらい『白磁をもっと買いたいけれど重くてこれ以上持って帰れない』と残念そうでした。又、2月のテーブルウェアー展の時に来日するとのことで再会を約してひとまずお別れ致しました。